空いた時間にナポリの旧市街観光

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SANYO DIGITAL CAMERAローマのテルミニ駅→ナポリ中央駅へ。
ナポリ旧市街へもほど近いベルベッロ港へはタクシーで15分ほどで着します。子供も一緒なのでタクシーを利用しました(11€)。
ナポリのタクシー料金表

写真はカステルヌオヴォの凱旋門。
ベルベッロ港から近いのでカプリ島へのチケットを購入してから30分間ほど時間があったのでちょっとだけ観てきました。
ルネッサンス芸術で南イタリアを代表する建造物のひとつです。フェランチュスコ・ラウラーナ(ダルマチア)、サグレーラ(カタロニア)、ピエトロ・デ・マルチィーノ(ミラノ)、ペレ・ホアン(スペイン)、ドメニコ・カジーニ(シチリア)らの共同制作です。アーチの上はアルフォンソ王の凱旋行進でその上の4人は「節度」「剛毅」、「公正」「雅量」を表現。頂きにいるのは大天使ミカエルだと言われています。

カステルヌヴォの建築は1279年にフランス王朝の流れを組むアンジュー家、ナポリ王シャルル1世よって建てられました。
後にスペインの流れを組むアラゴン家の攻撃に遭い城は破損したものの、新しく城主となったアラゴン家アルフォンソ5世はピペルノ石で急勾配を持つ土台と塔を付け加えて
再建し、現在は市立博物館としてナポリッ子に愛されているそうです。

ベルベッロ港は港から島々へ行く人たちでごったがえしていましたがカステルヌオヴォはそれほど人がおらず、サマーシーズンの午前中にもかかわらず観光客も比較的まばらでした。遠くにウンベルト1世のガレリアが見えましたが、行くと船に間に合いそうもないので諦めました。
ミラノのガレリアと同じ時期に建てられてとても綺麗なスポットみたいなのですが・・・惜しかった。

子供はいるのであまり無理は出来ないですね。ガマン=3

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【危険!?】現在ナポリの治安はこんなもの

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南イタリアのナポリ。危険な町として有名ですよね。

1990年ごろツアーで行った時は遠くからナポリな町並みを眺めて写真撮影しただけでした。
町は物騒なので近づいてはいけない、と散々ガイドさんから言われたのを覚えています。
1860年にイタリア統一でナポリ王国から一地方都市に降格したのを発端に失業者が続出し、
交通麻痺、泥棒の横行する物騒な都市と変貌を遂げてしまったのです。
イタリア統合の内情は北イタリアのサルディニア王国の権力にナポリ王国が征服され結果だとも言われており、北イタリアの工業発展のためにナポリでは次々と鉄工所や造船所、そして鉱山が閉鎖に追い込まれて失業者が続出したそうです。

とはいえ、マルゲリータピッツアの発祥地、洗濯物のはためく路地、湾を見下ろすヴェスビオス火山と海のコントラストの美しさ
「ナポリの観て死ね」
という言葉があるくらい有名な都市です。

当時を想うとイタリア観光の名高いスポットではあるので、遠めで写真を撮影して「行ったよね」ってことにしておきたかったのでしょう。

それが今は様変わりしています。

1994年のナポリ・サミットをきっかけにバッソリーニ市長の手腕で治安が飛躍的に向上したのです。
交通規制がなされ、街全体が美化されて、警官を多数配置しました。
これで夜に歩くことができるようになったのです。
さらに新官庁はなんと丹下建三さんによって新たな官庁街が建設されました。

ニューヨークもこの頃にN.Y市長の力で警察が増員され治安が著しく向上しましたよね。
当時の世界の風潮なのかもしれません。

さらに翌年1995年に旧市街がユネスコ世界遺産に認定を受け、
地下のギリシア・ローマ時代の遺跡発掘、サン・マルチィーノ修道院の美術品修復をはじめとする動きなど
観光に力を入れた結果、街がかつての息吹を取り戻しつつあるのです。

ローマからナポリ中央駅へ降り立った時、ナポリの鉄骨にガラス張りの駅はテルミニ駅よりも垢抜けている印象でした。
さんさんとした南イタリアの日光を受けて空港のような雰囲気です。

もちろんゴミをあさっている人やジプシーはましたが、それはローマも同じ。
目前の現代的なショッピングモールには東京と変らないレイアウトでロクシタンのショップが入っておりますし
新宿駅に近い雑踏さを感じました。

周遊バスで市内を見学したかったものの、カプリに早く着きたかったのでタクシーを捕まえて
ベルベッロ港(Molo Beverello)へ行きました。

駅前は正規タクシーの運転手プールがあるし、主な行き先の料金設定も明示されていて安心できました。
タクシーの運転手も極めて日本と変らず。
ナポリ中央駅からベルベッロ港(Molo Beverello)までは11€です。(2014年)
心配な方は規定料金表「タリファ」の表がナポリ観光HPにあるので印刷して持っていけばお守りになるでしょう♪

ナポリはひったくりは多いようですが治安に関してははもうローマと変わりませんね。

ナポリ世界遺産カステルヌオヴォの城壁の内部

カステルヌオヴォは城というよりは砦といった面持ち。アンジュー家の華やかさは皆無です・・・;1279年にアンジュー家のシャルル1世によって建てられました。
凱旋門をくぐると昔のナポリの壁画がありました。均整の取れた美しい町並が広がっていますね。
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中庭はガランとしていますが、現在は博物館だそうです。左に巨人が被るくらい大きな兜が。モニュメントでしょうか。
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回線門の鉄の扉は砲弾の後があドッジボールくらいの大きな穴が空いていました。

生々しい・・・・弾痕に子供もビックリ。

かつて「ナポリ」を治めた王様たちは民にとっては大概「よそもの」だったので、
突然の襲撃を防ぐ為と威圧的に権力を誇示するため宮殿ではなく城砦を建てたというのが専らの理由です。

はじまりは起源前5世紀ごろ、当時の新都市(ネアポリス)としてギリシア人がナポリに町を築いたというのが
記録にあるそうです。その後はキリスト文化と共に栄え、近世までナポリ王国としての栄華を誇っていましたが
イタリア統一の後は衰退の一途をたどり、近年ようやく活気を取り戻してきた模様。

カプリへ出航したフェリーでベルベッロ港の方へ振り返ると

ナポリ湾から突き出た小島に建つ「卵城(カステル・デツローヴォ)」が見えました。こちらはカステルヌオヴォより建築されたのが古く1137年。ノルマン王ルッジーロによって築かれた要塞です。
卵城(カステル・デツローヴォ)には伝説があり、その城のどこかにローマ時代の詩人にして魔術師と言われたウェルギリウスが卵を隠したそうです。

卵が無事なうちはナポリは安泰だと言われており、未だにその卵は見つかっていないので大丈夫ということみたいですね。うん~、時代が交錯してますがファンタジーです♪

「卵城(カステル・デツローヴォ)」は湾を見下ろすヴェスビオス火山と一緒にナポリのシンボルです。